百瀬氏のこと

 百瀬氏のgive and give の精神はなんとなくわかる。学生時代は、時代が時代だけに「 俺のものはお前のもの、お前のものは俺のもの」と互いに頓着がなかった。有り金100 円でも90円を人に貸す輩だった。
  石に「山を愛した」と刻むようにとの遺言、いかにもと思う。生前から、彼はそういう 言葉を使ったことがない。山に行くときも、特にどこへ行こうとか、積極的な意思表示 はしなかった。仲間が行くところ、一緒に行き、楽しむ、という風情で、雄大な景色に 接しても決して言葉でもってその景観を讃することもなかった。「山を愛した」という 一言が彼の性格のすべてを語っている。酒を飲み、歌い、仲間と共有する時間をいかに も大事に楽しんでいた。
  いつも遠くを見ているような眼差しが、今も目に浮かぶ。何を見、何を思っていたのか ? 宴が終わり分かれるとき、いかにも去りがたい風情で肩をすぼめて去って行く彼の後 姿が未練気で、ついつい後を追って、さらに杯を重ねることもしばしば。 一緒にいてあれほど温かい男をいまだ知らない。 卒業後は会う機会も減り、この10年はほとんど交流がなかった。 不死身、そんな思いで見ていただけに是ほど早く逝くとは思いもよらぬ ことで言葉がな い。

(広瀬州男記)